プロジェクトに関するQ&A

   英語版出版の目的は?

第二次世界大戦が終結して66年が過ぎました。多くの人にとってこの戦争は遠い昔のことになりつつあります。
しかし、沖縄に住む人々にとっては、この戦争は今もなお大きな傷を残したままです。沖縄戦は、太平洋戦争の中で
もっとも規模が大きくそして過酷であり期間も長く続いたにもかかわらず、現代では忘れられた戦いであるとも言え
ます。この戦いで19万人近くが亡くなりその半分以上は沖縄の住民であったと推定されています。当時の沖縄住民の
3分の1であります。今も島の面積の5分の1の土地、それももっとも良い土地が米軍や自衛隊の基地になっている
現実を考えると、戦争は今も終結していません。


② 美術作品の力を信じて

美術作品は過去の悲惨な戦争を捉えなおし、心の傷を癒し社会を変えていく役割をもっています。丸木 俊・位里さん
の「原爆の図」はまさにこのような役割を果たしてきました。この作品は20世紀のもっとも優れた作品の一つとされ、
すでに世界の100万人以上の人々に鑑賞されています。丸木夫妻の記録絵本も平和や環境教育に大きく貢献して
います。もっとも有名な「ひろしまのピカ」(小峰書店)は16の言語に訳され、核兵器廃絶運動などに広く使われてい
ます。「おきなわ 島のこえ」(小峰書店)はすでに5万人以上の日本の子どもたちに戦争の悲惨さを伝えています。
この本の英語訳があれば、英語圏の子どもたちにも同じような役割が果たせるのではないかと思ったわけです。
英語版の完成により、丸木夫妻の念願であった「戦争の悲惨さを決して忘れないことと世界の平和」を少しでも推し
進められることを願っています。


③丸木夫妻プロフィール

丸木 俊(まるき とし)さんは1912年北海道雨竜郡生まれ。女子美術専門学校で洋画を学びました。
丸木位里(まるき いり)さんは1901年広島県生まれ。日本画家として独自の画風を深めました。
1950年夫婦の共同作品として「原爆の図」を発表し、1995年にはノーベル平和賞候補となりました。
絵本の「ひろしまのピカ」「みなまた 海のこえ」「おきなわ 島のこえ」など多数。
位里さんは1995年10月に、俊さんは2000年1月に他界。



④どうして函館から?

沖縄戦の犠牲者は民間人、軍人合わせて18万8千人にのぼります。軍人のうち沖縄県をのぞく出身県別では、
北海道出身者が10,787人(2番目は福岡県の4,013人)で一番多いのです。日本列島の北の端の北海道の
兵隊さんが最南端の沖縄でどんな思いで死んでいったのでしょうか。また、丸木 俊さんも北海道雨竜郡秩父別町
出身です。函館からこの平和のメッセージを発信する意義はとても大きいのです。